家に籠もりきりだった日の終わりには日記をつけたくなる。 喉が痛いという弟に連坐するかたちで短い蟄居を強いられた。 このところ、朝教えに出る学校では徒然草を諳んじさえ、家では溜まっていた大河ドラマを一息に消化しようというので、書きぶりまでどこか物々しい。 液晶光ばかり浴びて、頭と目が水を吸った袋のように重くなり、仕方がないので携帯を伏せると、伊豆にまつわる随筆をいくつか、それ以上は弱った頭には強いられなかった。雨が降っているのだとばかり思っていた窓は開け放しのままでも吹き込むことはなく、湿った匂いばかりが境目もなく浸み入っていた。 熱いお茶を飲んでもしばらく目を瞑ってみてもどうも気が晴れない。本を読むのをやめて、風呂に入った。昨夏、修善寺から天城を越え湯ケ島に留ったあの旅行のことを思い出した。なぜああもとんとんと話が進んだのだったか。平日の、人のまばらなエクセルシオールで、おそらく傷心の私の我が儘を聞いてくれたのだったろう。有り難い、たとえば今度は修善寺に留って、山と寺と雨ばかり眺めて夏を暮らしてみたい、そんなことまで思った。 風呂に薬は入れなかった。生臭さを匂ったのは、いで湯のことばかり思っていたからか。すぐに出ようとしたのを気が変わって、思いきりカランを捻り冷たい水を浴びた。思わず声が出て胸のあたりからがたがたと音がするようだった。はじめて少し愉快を感じた。きしきしする髪を、女のように絞ってみたとき、短く刈り込んだ髪のもう伸びていることに気がついた。