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6月, 2022の投稿を表示しています

ネトネト言わせてNI 筆を洗う

  家に籠もりきりだった日の終わりには日記をつけたくなる。  喉が痛いという弟に連坐するかたちで短い蟄居を強いられた。  このところ、朝教えに出る学校では徒然草を諳んじさえ、家では溜まっていた大河ドラマを一息に消化しようというので、書きぶりまでどこか物々しい。  液晶光ばかり浴びて、頭と目が水を吸った袋のように重くなり、仕方がないので携帯を伏せると、伊豆にまつわる随筆をいくつか、それ以上は弱った頭には強いられなかった。雨が降っているのだとばかり思っていた窓は開け放しのままでも吹き込むことはなく、湿った匂いばかりが境目もなく浸み入っていた。  熱いお茶を飲んでもしばらく目を瞑ってみてもどうも気が晴れない。本を読むのをやめて、風呂に入った。昨夏、修善寺から天城を越え湯ケ島に留ったあの旅行のことを思い出した。なぜああもとんとんと話が進んだのだったか。平日の、人のまばらなエクセルシオールで、おそらく傷心の私の我が儘を聞いてくれたのだったろう。有り難い、たとえば今度は修善寺に留って、山と寺と雨ばかり眺めて夏を暮らしてみたい、そんなことまで思った。  風呂に薬は入れなかった。生臭さを匂ったのは、いで湯のことばかり思っていたからか。すぐに出ようとしたのを気が変わって、思いきりカランを捻り冷たい水を浴びた。思わず声が出て胸のあたりからがたがたと音がするようだった。はじめて少し愉快を感じた。きしきしする髪を、女のように絞ってみたとき、短く刈り込んだ髪のもう伸びていることに気がついた。

ネトネト言わせてNI 分離派の梅雨

  数年前に縁を切った親友とどうやら同じものを買ってしまったらしい。この一年待ち通してきた革のリュックサックは、勝手知った伊豆であれば二回ほどの周遊には出られたのではないかというぐらいの値段だった。久しぶりに唾を飛ばして怒った俺は、その演技がかっていることにどこか気づいていて、それが怒りをなお烈しくさせた。  俺がよく使う地口のひとつに「カラマーゾフ三兄弟をそらんじることのできないやつとは口をききたくない」というのがある。これを読んでいる君たちもきっと無理だろうが仕方ない。その冗長さと豊かさはとうてい現代人の脳に耐えられるものではない。  ただそれが、絶交した彼がよくラスコーリニコフのことを取沙汰していたことに端を発するものなのだと思い至ったとき(といっても彼はその主人公の名と「古儀式派」の十字の切り方について何ひとつを知っているわけではない)、俺はそれこそ爆発寸前のワーニャ(最上級の愛をこめてこう呼ぼう)よろしく声をあげて嗤い、浸かっていた湯のおもてをびしゃりと叩きつけた。  午前中の非常勤を終え、図書館で調べものをし、道楽でやっているのに(今日はこたえる一日だった)ともつれた糸を一本ずつ抜き取るように読みこなした論文の要旨を頭の中の棚のしかるべき段に差し入れながら、発車時刻など当然見ずに乗り込んだ山手線で俺の目が突き当たったのは、かつて俺が提げていたいまいましき校章入のバッグだった。少女は三人、細い目をさらに細め、縁も辿ればどこかで行きあたるのだろう。少女たちは俺の肩をかすめ、新大久保の駅で降りて行った。俺は、マンタリテそのものとしての彼女らが、相も変わらずに昏いことに、祈りを捧げたくなるほどの深い喜びと安堵を覚え、彼女らが、そしてその血がいつまでも昏いままであることを切に願った。  旧い友達の一周忌が寺であった。朝から雨催いの日だった。一時間ほどのものが済んだのち、半端な知り合いとでくわす面倒を厭い裏道を通って駅へと抜ける角を折れると、大柄なスーツの男三人(かなり若く見えた)が真っ白な煙草から煙を吐きながらこれもまた若い女を囲んでなにやら言い合っているのだ。とっさに踵を返そうとした俺は、それがなんらあやういものではなく、式に参席していた、それこそ先程まで隣に座っていた同窓の者らであったことに気がついた。若い女は6歳の頃から知っている昏い子だった。ファス...