数年前に縁を切った親友とどうやら同じものを買ってしまったらしい。この一年待ち通してきた革のリュックサックは、勝手知った伊豆であれば二回ほどの周遊には出られたのではないかというぐらいの値段だった。久しぶりに唾を飛ばして怒った俺は、その演技がかっていることにどこか気づいていて、それが怒りをなお烈しくさせた。
俺がよく使う地口のひとつに「カラマーゾフ三兄弟をそらんじることのできないやつとは口をききたくない」というのがある。これを読んでいる君たちもきっと無理だろうが仕方ない。その冗長さと豊かさはとうてい現代人の脳に耐えられるものではない。
ただそれが、絶交した彼がよくラスコーリニコフのことを取沙汰していたことに端を発するものなのだと思い至ったとき(といっても彼はその主人公の名と「古儀式派」の十字の切り方について何ひとつを知っているわけではない)、俺はそれこそ爆発寸前のワーニャ(最上級の愛をこめてこう呼ぼう)よろしく声をあげて嗤い、浸かっていた湯のおもてをびしゃりと叩きつけた。
午前中の非常勤を終え、図書館で調べものをし、道楽でやっているのに(今日はこたえる一日だった)ともつれた糸を一本ずつ抜き取るように読みこなした論文の要旨を頭の中の棚のしかるべき段に差し入れながら、発車時刻など当然見ずに乗り込んだ山手線で俺の目が突き当たったのは、かつて俺が提げていたいまいましき校章入のバッグだった。少女は三人、細い目をさらに細め、縁も辿ればどこかで行きあたるのだろう。少女たちは俺の肩をかすめ、新大久保の駅で降りて行った。俺は、マンタリテそのものとしての彼女らが、相も変わらずに昏いことに、祈りを捧げたくなるほどの深い喜びと安堵を覚え、彼女らが、そしてその血がいつまでも昏いままであることを切に願った。
旧い友達の一周忌が寺であった。朝から雨催いの日だった。一時間ほどのものが済んだのち、半端な知り合いとでくわす面倒を厭い裏道を通って駅へと抜ける角を折れると、大柄なスーツの男三人(かなり若く見えた)が真っ白な煙草から煙を吐きながらこれもまた若い女を囲んでなにやら言い合っているのだ。とっさに踵を返そうとした俺は、それがなんらあやういものではなく、式に参席していた、それこそ先程まで隣に座っていた同窓の者らであったことに気がついた。若い女は6歳の頃から知っている昏い子だった。ファストフードを摂り過ぎた街裏の鳥たちのように、おらおらと首を振りながらでないと話をすることのできない男たちは煙草を長いまま捨てていたので、横を通り過ぎるときに、それを拾って一口吸ってやろうかと思った。
俺たちはどこまでも貧しい。あぐらをかいたまま(もちろん正座でも変わらない、こんなことまでことわらなくちゃいけないか?)でいる限り俺たちは、みにくい植物たちのように白く細い根で土にしがみつき、その滋味を吸い取らねばならないが、土もまた出涸らしのティーバッグのようにすでにほとんど味の出ない代物であることには気がついていない。あるいは気がついていてももはや一度張った根を引き抜いてデラシネとして生き直すような資質も度胸も持ち合わせていない。俺たちはたがいに押し合い圧し合いしながら、先細る一方の争いのうちに救いようのない同胞愛を見出している。眩暈がしそうだ。
だから、どうしようもなく貧しい俺たちは、何よりもまず、目をしょぼつかせ、耳を痺れさせ、指を黒くしなければならない。でなければ俺たちは自分達で拵えた上出来のガラス檻の内で、いつまでも一皿のパイをめぐって嘴をべとべとにし続けなければならない。俺はごめんだ、そんなみっともない真似は。その血の味に自家中毒になってしまう前に、青い天井を突き破るか穴を掘るか籠の持ち主に金を握らせるかしてここを出てしまわなくてはならない。
「誰よりも自分をうまく欺せる者が、誰よりも楽しく暮せるってわけですよ。」
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