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7月, 2022の投稿を表示しています

ネトネト言わせてNI ウーロンハイ

 「気の抜けた夏」というプレイリストを作った。誰にも見せるつもりはない。見せるつもりはないけれど、ほらいいだろと自慢して回りたい。嘘はつかない。ウーロンハイが飲みたい。飲みたいが二日酔いに弱い。困った。  なぜあんなに甘い、ウーロンハイ。俺の行くような店だったら、そんなに上等な焼酎を使っているわけでもないだろうに。氷の溶け方までどこか愛らしさがある。琥珀色の冷たい少しとろみを帯びた我らがウーロンハイ。ああウーロンハイ。くっと傾けたら喉をつるりと滑っていく優しい味の奥から、つんと鼻をぬけるアルコールのつよさと白い花が咲くような茶葉の香り。ついまた一口と手が伸びて、気づいた時には手遅れになっている。そしてまた次の日がむだになる。そうだ、お好み焼きと一緒が良い。もんじゃはいらない。焼きそばはどうしよう。コカ・コーラのロゴの入った、ドリンクバーと同じプラスチックのグラスでいい。細かい白い氷をぱんぱんに詰めて、薄いのでいいから持ってきてくれ。バターコーンなんか頼まないでくれよ、イカ焼きならいいよ。アイスは…帰りにしよう。  居酒屋は好きなのに二日酔いに弱くて、夏夜は好きなのに身体が汗でべたつくのがいやで、だからいっそ早いこと城を構えて、料理のできる友達を呼ぶか自分がはちまきを巻くかすればいい。がんばって揚げ出しやら焼き茄子やら出したりして、結局デパ地下で買って来たよだれ鶏だけ先になくなっている。やっぱりこの時もウーロンハイだ。どうせ酒が入ると好い気になって夜深くに外へ出る。それでスケボーの群れがアスファルトを駆る音にびびってなんとなく黙ってしまう。部屋に戻ったらまた好い気になって、誰かが自分のネトフリにログインして見飽きた映画をかけ始めたりする。グラスは汗をかいて触れるのもいやで、誰かがいれてくれた熱いお茶がおいしく感じる。  それでまんまと寝過ごした朝は、ソファのへりに痛めた首をさすりながらばりばりと氷を割って、大きな鍋に湯を沸かして、何束も何束も素麺を茹でたらいい。薄く切った胡瓜を酢と唐辛子で揉んで。箸の色なんか揃っていなくていい。ただ、朝食のときぐらいはクーラーをいったん切って、朝の空気を取り込んだ方がいい。どうせすぐにうだってまた閉めきるんだから、気を悪くしないでもいい。ぶらっと財布だけもってつっかけに家を出て、最寄りに送った帰りには本屋だ。入ったら難しい顔に見て回る...

ネトネト言わせてNI 長い夏休み

 読み止しの本を放ってこれを書いている。色々なものが落ち着くように落ち着きつつあることを感じる。ふさわしい穴にすっぽりと収まった球を眺めているときのような、不思議とさびしいあの感じを味わう夜だ。  誰にも薦めずに独り愛着している歌手が二人いる。主に昼にかけるのと、主に夜にかけるのと。今は夜だ。蒸すように暑いが、週末にこの冬を過ごすセーターを買いに行きたいなどと、そんなことを考える。  講師に出ている学校は今日が今学期最後の出校だった。隣の席の五十絡みの保健科の女教師と、僕とは、答案を返された生徒たちのあるいは起るかもしれない異議申し立てを待つべく二時間あまりこの席に座っていなくてはならなかったので、いやしい同盟という気分で暫く歓談に耽っていた。退屈がしのげただけではなく、いろいろと良い話が聞けたような気がしたのだが、どうしてか今はその中身を思い出せない。  その帰り――霧雨が音もなく、外堀通りをデザートの皿に降る粉砂糖のように白くけば立てていた――駅の壁に「みたままつり」の張り紙を見つけた。いつか行ったことがあった。その時、財布には誇張でもなんでもなく一銭も金が入っておらず、ただ夏の夜の光と音と熱とにあてられるというそれだけで楽しかった。今出向いてもそうだろうか。  一昨日か、ぎっくり背中になった。そんなものがあるかは知らない。左肩から背中にかけて筋がつっているような、意地の悪い蔦が張り付いているような、不吉な痛みだ。  暫く心配をしていた人がふっと隠れてしまった。それほど親しくしていたわけではない僕から何を言えるわけでもないので、今はただ自分で擦りむいた膝の傷に目を見張る子供のようないたいけさで、口をつぐむしかないような気もしているが、それもわからない。あるいは何かにせっつかれることもあるかもしれない。  長い夏休みが始まることになる。風のない朝の川のほとりの青い柳の木――そんな画が浮かぶ。「青い春」につづく「緑の季節」という想念について、僕はこの数年をとらわれている。いや、僕がしがみついているといってもいい。もう少し離さずにいたいし、あるいはそれにどれだけかかずらってもいいとさえ、強気にそう考える夜だ。