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12月, 2022の投稿を表示しています

ネトネト言わせてNI 仕事納め

   ばーばのやっている目黒の店に人手が足りないというので、夕方から手伝ってきた。母にあげたのと同じハンドクリームと不動前の花屋とケーキ屋とに寄って求めた品々を携えて、帰りにはもたされるだろうお米やその他の品が入るように大きいリュックを背負って大井町線に乗り込んだ。     開店までの間まかないを食べながら少しだけビールを飲んだ。ケーキは明日一人で食べると、クリスマスらしいことは何もしていなかったらしいばーばは、こんなに食べるのが遅かっただろうか。     小さな店は混んで、神棚のように掛けたテレビではフィギュアスケートの大会の放送がかかっていたが、誰が優勝したかすら分からずじまいだった。 夜の冷え込んだことはおやすみを言って外に出てはじめて分かった。駅までの路、雑居ビルの二階のフィリピンパブからシンシンと鈴の音が漏れていた。

ネトネト言わせてNI ゆる募

  石庫門の上海ハイボールが最近好きで、上海ハイボールっていうのはまあ適当なネーミングというか、ウイスキーのかわりに浅い紹興酒をこれまた炭酸の薄いソーダで割った他ではちょっと見ない代物で。紹興酒といえば前に渋谷の麗郷でしじみやら鴨やらを食べたときにひとり虎の子みたいに抱いたあっつい瓶から少しずつ注いで飲んだのが美味く、帰りは代々木上原まで歩いたら次の日足が痛くて起きられなかったのだった。  そんな風にして帰りは落日飛車を聴いていた。「支那っチャイナ」をいうプレイリストをSpotifyに作っていて、そのほとんどが落日飛車だった。もちろんミツメ経由で知ったバンドだ。メンバーのビジュアルが良すぎる。窓外の雨催の夜空が、九龍のそれをどことなく思わせる。夏なのに肌寒かったな。高校の修学旅行の帰り、ベイジンでのトランジットに両替札を握りしめて駆け込んだバーガーキングのジュースの規格が桁違いだったのを今でもよく覚えている。  あとは、ヤスの「繁華街」。二番のサビがとくに好きで、ちょうどその時は『上海』を読んでいたから尚更というか、でもまだ読み切れていない。講談社文芸文庫は高すぎるくせにカバーをもう少し工夫しろ。  「支那っチャイナ」に加えられそうな曲があれば教えてください。「上海蟹~」はもういいから。

ネトネト言わせてNI 漱石忌

   信号を待つ時、肩口に糸くずがついているのに気がついた。僕はそれをつまみ、またコートにひっつかないように腕を伸ばすと、見えない友人の頭に置くようにそっと指を離した。くずは一瞬自らの落ちなければならないことを忘れたようにふわりと浮いたが、しかし運命を悟ったがためにすぐにそれは風に流されてしまう。僕はそれを見ながら、「 矜羯羅がる 」の字はなぜああ書くのだろうと考えていた。  僕はやっと自分が道を間違えたことに気がついた。思えば今抜けてきた路地にも寺にも見覚えがない。どこをどう歩いてきたのかも覚えていない。近くに地図がなく、やっと見つけた標識にも「牛込柳町」と名前だけかろうじて聞いたことのある駅への案内しかない。このあたりの、よく使って知っている道と全く知らない道とがメロンのひびのように絡みあい、一帯に深く根を下ろした生活の歴史によそ者の自分が絡めとられていく感じが不愉快だった。已に歩き疲れていることもこの時思い出し、明るい店のひとつも見当たらず、曲が止まったことをもしやと抜き取ると携帯電話の充電が切れていた。車ばかり多く通行人の無い通りで途方に暮れていたその時、一匹の黒い猫が角を左へ折れるのが目に留まった。  自棄に近い心を炭のように掻きたて、先を急いでいたのも忘れてその鍵尻尾の影を追いかけているうちに、足元はなじみ深い白い石畳に変わり、もしやと思って顔を上げると、背の高い芭蕉が水気のない葉をがさがさと揺すっている。おもわず「おお、」と声を漏らし、後はもう勝手知った道程だった。    一昨年書いた小説の一節を引いてくる手が、そのまま、腹の上をさすったのは、今日は長く寒い中を歩いてきただろうかと、一日を振り返るがごとく、あの大仰な葬式もまた、これほどに、いやこれ以上に寒い日だったのだろうかと、霜天――開け放しの寺に吹き込む霰の硬さを想う。  うだるような夏の日、耐えかねてといって何に押しつぶされたのかは憶えてなどいないけれども、坂を上った先の山房の隅で、僕はサイダーを飲んでいた。平日の午過で、客はなかった。敷地の余に設えられた広場で遊ばせている子どもらの声が聞こえていた。それから、思い出したように少し眠った。白く、陽が差していた。  あてられた熱を冷ますように、髪を風になぶらせて同じ坂を上ったときには、幸福な夏の日の午後のことなど忘れてしまって...