信号を待つ時、肩口に糸くずがついているのに気がついた。僕はそれをつまみ、またコートにひっつかないように腕を伸ばすと、見えない友人の頭に置くようにそっと指を離した。くずは一瞬自らの落ちなければならないことを忘れたようにふわりと浮いたが、しかし運命を悟ったがためにすぐにそれは風に流されてしまう。僕はそれを見ながら、「矜羯羅がる」の字はなぜああ書くのだろうと考えていた。
僕はやっと自分が道を間違えたことに気がついた。思えば今抜けてきた路地にも寺にも見覚えがない。どこをどう歩いてきたのかも覚えていない。近くに地図がなく、やっと見つけた標識にも「牛込柳町」と名前だけかろうじて聞いたことのある駅への案内しかない。このあたりの、よく使って知っている道と全く知らない道とがメロンのひびのように絡みあい、一帯に深く根を下ろした生活の歴史によそ者の自分が絡めとられていく感じが不愉快だった。已に歩き疲れていることもこの時思い出し、明るい店のひとつも見当たらず、曲が止まったことをもしやと抜き取ると携帯電話の充電が切れていた。車ばかり多く通行人の無い通りで途方に暮れていたその時、一匹の黒い猫が角を左へ折れるのが目に留まった。
自棄に近い心を炭のように掻きたて、先を急いでいたのも忘れてその鍵尻尾の影を追いかけているうちに、足元はなじみ深い白い石畳に変わり、もしやと思って顔を上げると、背の高い芭蕉が水気のない葉をがさがさと揺すっている。おもわず「おお、」と声を漏らし、後はもう勝手知った道程だった。
一昨年書いた小説の一節を引いてくる手が、そのまま、腹の上をさすったのは、今日は長く寒い中を歩いてきただろうかと、一日を振り返るがごとく、あの大仰な葬式もまた、これほどに、いやこれ以上に寒い日だったのだろうかと、霜天――開け放しの寺に吹き込む霰の硬さを想う。
うだるような夏の日、耐えかねてといって何に押しつぶされたのかは憶えてなどいないけれども、坂を上った先の山房の隅で、僕はサイダーを飲んでいた。平日の午過で、客はなかった。敷地の余に設えられた広場で遊ばせている子どもらの声が聞こえていた。それから、思い出したように少し眠った。白く、陽が差していた。
あてられた熱を冷ますように、髪を風になぶらせて同じ坂を上ったときには、幸福な夏の日の午後のことなど忘れてしまっていたけれども、足は同じく山房に向かっていて、ただその日も腹が痛かった。木枯らしの吹く頃だった。玄関はその日も、私を迎えるように開いていた。当然だが、有り難いことのようだった。
遠くなりつつある日に読んだ『行人』をしばらく前から読み返している。学期末のいらないでもよいような課業が済んで予備校に向かうまでの間の半日ばかりを、東南口のマクドナルドの二階ですわりの悪い椅子に木耳のようにへばりついて、頁を繰っていたのは、都会に住まう者が、田舎の星明かりの下で目を洗うがごとく、長らく氷盤の下を泳いできた海豹がやっと見つけた切れ目から頭を覗かせたその一息目がごとく、乾いた草にやる水のように必要に駆られてのことだったと思う。今は違う。「ぎょうにん」と読み間違える馬鹿ではない。これが百年前の新聞に載っていたことも知らず、こもった油の匂いに胸を悪くしてまで一気呵成に読み破ったりもしない。兄と弟をまとめてこの身に引き受けて悶えることもない。
くだらないことだ。
幼子の手を引いて焼香に出た兄弟子を見やる若い門弟の眼の熱さを、少し借りたいと思った。
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