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10月, 2021の投稿を表示しています

ネトネト言わせてNI toto

   夜中に映画を見ていた。空想の世界に生きる23才の少女は、勤め先のカフェのおかみさんが言った「一目ぼれにもレシピがある」という言葉を信じて、持ち前のすばしっこさで1970年代のパリを駆け回っていた。たった一度のデートの待ち合わせに街じゅうが巻き込まれるのはなんだか周りの人が気の毒な気がして、石造りのアパルトマンはやっぱりどうも住みにくそうだった。それなんかより、カフェの売店でつつましくスピードくじを引いているおじさんの顔が頭から離れなかった。途中トイレにたつ際、一時停止するのがどうしても気が引けて、流しっぱなしのままヘッドホンを外した。  朝起きると軽い宿酔がしていた。日曜日は「ねじを巻かない日」のはずなのにどうしても勉強が間に合わなそうで、でも日入りの悪い自室に籠っていると間違いなく参ってしまう気がしたから無理やり身体を起して着替えるとコーヒーをいれた。ピザトーストの作り方がだんだん上手くなっている気がする。  中原図書館に入るのは初めてではなかったけれど、日曜日とはいえこれほど混んでいるとは知らなかった。いつもと比べて席が間引かれていることもあり、なんと閲覧席がすべて埋まっていた。仕方なく時間制限のある席の予約を取って順番を待った。1日に60分×2回までの利用らしく、そんな漫画喫茶みたいなことがあっていいのかとどうしても納得がいかなかったけれど、そうでなくて通いなれた大学図書館の環境が良すぎるのか。戸山にも中央にも人には教えない定位置がいくつもある。  持ち込んだ教材一式を手早く広げると、時間に限りがあるからか最近の自分には珍しいぐらいもりもりと問題を解いた。部屋でだらだらと日中をつぶした昨日なんかよりよっぽどはかどった気がする。規則通り2時間の利用が終わって外に出た時、中庭に面したガラス張りの廊下の端で、その狭い庭を眺めるでもなくただ窓に向かって一心にサンドイッチを頬張っている少年や少女が幾人もいた。荷物の大きさからして浪人生だろうか。せせこましい図書館には飲食スペースすら設けられておらず、だからこうして立ち食いを強いられているのが、何かこう見てはいけないものを見ているような気がして胸が痛かった。だって、館の入っている商業施設のすぐ下の階は小ぎれいなふりをしたレストラン街になっていて、分かったような顔をした「ムサコパワーカップル」たちがひしめいてい...

ネトネト言わせてNI アロエ

   「残暑が嫌いだ」という話をして、異を唱える人にまず出会ったことがない。暦の上では終わっているはずの夏をいったいいつまでひきずるつもりなのか、と誰にもぶつけられない気持ちが苛立ちに変わる。いっそのこと極夜の国に住みたくもなる。馬鹿だな、冗談だよ。LUMINEのマネキンたちはもう薄手のマフラーまで巻いていて、ひと夏着通したTシャツたちにはもう食傷気味なのに、ここ一週間までも日盛りには半袖一枚でなければとてもじゃないが快適に過ごすことができない。幼い頃、川や海に遊びに行くと、首の裏や腕を丸一日日射しに焼き桃色にただれさせたのに、家に帰ってからあのピッコロ大魔王の体液のようなどろどろしたアロエのジェルを塗ってもらうのが好きだった。きまってどこか外国(ほとんどがハワイかそこらだったと思う)から輸入された大容量のチューブで、もののしい成分表示を判読できない不安をじっさいに肌に延ばしてみたときのひんやりとさわやかな匂いに紛らわせたものだった。  週に四日は6時25分に起きる。今朝もそうだった。本当は30分でいいのに何よりも惜しい朝の5分をいったい何に使うかと言うと、決まった音楽をかけながら足指をぐうぱあと開いたり握ったりして血を巡らせることになっている。いつか以来夏は寝起きの血圧が低めだから、毎朝ゼンマイを巻くようにケットを蹴りながら30分が来るのを待つ。  今日はばたばたの一日だった。起きたら電車が遅れていて、それで少し遅れて行ってもいいかとむしろ安心してしまった。人身事故がひどいものだったようで、運転再開見込時刻がどんどん後ろ倒しになった。結局15分遅れぐらいでアルバイト先に出ると(大学の事務所で下働きのようなことをやっている)、そこから内線電話を取りまくった。左利き用には作られていない電話機の配置とマウスの位置とに憤りつつ、カイリキーもかくやの活躍だった。  12時半に事務所を退けた後、昼食をとる間もなくキャンパスを移動して一つ事務的な手続きをし、午後からの2コマ連続の授業に出た。途中耐えきれなくなって休み時間にとびきり甘いカフェラテを買いに走った。  授業が終わるとM1(修士課程1年)の皆で研究誌の打ち合わせをした。あみだくじで決めたとはいえ編集長なので各方面への指示(というとちょっと偉そうだ)とスケジュールの調整を行う。どうか皆の論文がうまくいけばいい。 ...

ネトネト言わせてNI あとがき

   小説を一本書いた。400字詰原稿だと150枚ぐらいだろうか、おかげでだいぶくたびれた。二週間ほど、するべきことが終わっただいたい夜中に書き進めていたので、ところどころその気が出ているのかもしれない。もう好きでもない音楽をわざと聴きまくったりして、胸のうちをほじくりまわすのがつらかった。舞台は大学時代から何かと理由をつけて通い続けている伊東だったので、そのあたりは無理なく書けたと思う。  たいていの人は生涯に一つの作品をさえ残さずに死んでいく。産みの苦しみなんて言葉を知ったように使って、ただ何かと理由をつけて持ち前の風流がりを形にもしようとしない彼らは、妥協を諦観と呼びならわすうちに本当にその境目が見えなくなって、それでもなんともないような顔をしながら芸術のとっつきやすいところだけに飛びついて後はフライドチキンの骨みたいに放り投げるんだろう。俺がそれをいちいち拾ってしゃぶりつくしてやりたい。  細かい出来などはどうだっていい。世に問うてもそうでなくてもそれは大した問題じゃない。何をどうしてでも書けるという、ただそれだけのことが大切なんだ。人も芸術も、今ここにあるというものはすべからく祝福を受けているんだ。祝福を受けている!己が手に何かを作るというのは、つまりその生まれたてのworkに祝福を与えてやること、世界の欠片に祝福を与えることに他ならない。ああ、ワインを一杯飲んだだけなのに頭が痛い。