小説を一本書いた。400字詰原稿だと150枚ぐらいだろうか、おかげでだいぶくたびれた。二週間ほど、するべきことが終わっただいたい夜中に書き進めていたので、ところどころその気が出ているのかもしれない。もう好きでもない音楽をわざと聴きまくったりして、胸のうちをほじくりまわすのがつらかった。舞台は大学時代から何かと理由をつけて通い続けている伊東だったので、そのあたりは無理なく書けたと思う。
たいていの人は生涯に一つの作品をさえ残さずに死んでいく。産みの苦しみなんて言葉を知ったように使って、ただ何かと理由をつけて持ち前の風流がりを形にもしようとしない彼らは、妥協を諦観と呼びならわすうちに本当にその境目が見えなくなって、それでもなんともないような顔をしながら芸術のとっつきやすいところだけに飛びついて後はフライドチキンの骨みたいに放り投げるんだろう。俺がそれをいちいち拾ってしゃぶりつくしてやりたい。細かい出来などはどうだっていい。世に問うてもそうでなくてもそれは大した問題じゃない。何をどうしてでも書けるという、ただそれだけのことが大切なんだ。人も芸術も、今ここにあるというものはすべからく祝福を受けているんだ。祝福を受けている!己が手に何かを作るというのは、つまりその生まれたてのworkに祝福を与えてやること、世界の欠片に祝福を与えることに他ならない。ああ、ワインを一杯飲んだだけなのに頭が痛い。
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