スキップしてメイン コンテンツに移動

ネトネト言わせてNI 赤い実・序

  家から一歩も出ない日曜日だった。洗った靴に紐を通し、机を拭き、出しっぱなしにしていたベープをいい加減仕舞い、窓を開けたり閉めたりしながら少しだけ読み物を進めた。調弦もした。

 冬だから、部屋では当たり前のようにPAELLASを流していた。思い出したように、金曜日の疲れそのままに床にへたばっている鞄からひとつの袋を取り出した。つまみだす褐色の粒に自分の目が細くなるのが分かり、すぐに口に放り込んだ。緩んだ顔がほんの一瞬引き締まり、すぐにまた甘くふやける。買って良かったとそのパッケージを指の腹でなぜる。
 毎日といっていいほどコンビニに入るけれど、そのたびにお菓子の棚に挨拶を欠かしたことはなかった。げっそりした夏が過ぎて秋に入ってからというもの、携帯するお菓子の変遷をたどっていくと、キャラメル→チョコレート→ドライフルーツ&ミックスナッツ→チョコレート→チョコレート→ミルクキャンディ→そして一昨日買ったのが今机の上にあるクランベリーチョコレートだ。キャラメルはほとんど一人にあげてしまって、ちなみに三度繰り返したチョコレートは明治のごく普通のもの、どれも一個ずつ包装されているのを選り好んできたのを、今回は、たわわに実った果実そのもののようにフックにぶら下がる小袋に射止められた途端、そんな大原則も忘れすぐに会計を済ませていた。どうしても食べたかった。いつからかずっとこのチョコレートの虜になっていた。
 再び密閉チャックを開き、黒く油照る粒をつまみあげる。どうしても、あのカオナシに呑み込まれたまぬけな蛙の姿が目に浮かぶ。彼の目を狂わせた砂金の粒に、形も大きさもよく似ている。ふた指につまんだジュエルをついばむように口に含むと、やわらかな表皮を砕き噛みだした内側にほんの一瞬華やかな花の香が抜け、しばらく舌を甘く痺れさせる酸味に思うのはその実のみずみずしい赤さだ。目には見えない実の赤さを味わう僕は、ふと―季節だろうか―感謝祭に欠かせないいわばセイヨウコケモモのかわりに、殆ど「間違えて」あのヒイラギの実を思い出してしまった。
 もうあの寛大な赤帽爺もやってこない聖夜に何を期待するわけでもないけれど、言い訳をさせてもらうとすればそれは、昨日祖母に買って行こうと花屋に寄ったとき、目当てのポインセチアの鉢の脇に置かれていたその縁起のよさそうな小粒の房に目が留まったからだった。愛らしい実と好対照をなすように、実をついばみに飛んでくる鳥をはねつけるかのようにいかめしい造りの葉は、どうしてかあの厚ぼったい葉の手触りと先史時代のほとんど祭祀に用いるような装飾の多い剣を思わせる。だからこそ僕と当時の友人たちは、通学路の垣根にめぐらされたそのヒイラギの葉を一枚ずつむしっては短刀のようにそれを振るい、制服のズボンからはみでた白い腿の肉を引っかきあっていたのだろう。
 調べてみると、ヒイラギというその名前じたいが古い日本語でひいらぐ=ひりひり痛むの名詞形だという。しかし、クリスマスの装飾として慣れてしまったその実と葉に今更和風な連想をあてがうわけにもいかず、うんうん唸りながらどうにか手繰り寄せたのが、どうしてか「北海道」という土地のことだった。さあ、どうしてだろう。

 いや、試しに今度ばかりは、「どうしてか」なんて言い訳を言うのはよそう。連想はすでに頭の中で組みあがって、勤勉なビーバーの堤のように濛々と霞む僕の意識の水面に小島の頭をのぞかせ、さてそこにたどり着くにはただ言葉を櫂としてどうにか漕ぎ進めるしかないのだ。曵航の白波はそのまま僕だけの散文となり、それがどれだけいびつでもその後を辿れば赤い実の酸っぱさは舌を去るとも心ではそれを忘れずに済む。
 そうだ。そうだ。北海道について書こう。それがいい。きっと、僕がこう思い立つからには、僕は近いうちに、幼いうちの幾年を過ごしたこの土地にまつわる短いものを書いて、それをここにまた載せよう。今はまだスパゲッティの乾麺のようにどうにか括っていないとばらばらと零れてしまうアイディアのいくつかも、それを黒土に撒かれたイマージュの種として、それらをどうにかより合わせてあるいは慈しみ育てて、ひとつの幼いフィクションの似姿として日に当ててやろう。
 さあ、今日はもう寝てしまわないと。チョコレートは仕舞って、暖房をおやすみモードにして、丹念に歯を磨こう。味は忘れても構わないように、ここにその連想の手がかりだけを残して。今さっき舟に喩えたばかりなのに、今度はどうかロッククライミングに喩えてみたくなる。色も形も異なる突起たちを文字通りの手がかりに言葉の重みを乗せ、じぐざぐと高みを目指す―ああ、それでも、文章を書くのはクライミングと違って、キーボードを叩く手に乳酸が溜まる前に、なんてせっかちさは求められない。だから好きなんだった。バカだな。

備忘録:次の単語を今度までの手がかりに
・クランベリーチョコ
・ヒイラギ(柊)
・札幌、小樽
・雪明りの路
・自作「春景色」
・尾崎雄貴

コメント

このブログの人気の投稿

緑の少女⑰

 水滴。水滴の音だ。  結局この部屋は誰にも見つからなかった。もしあのとき見つかっていたのだとしても、きっと僕らの姿は影にしか見えなかったはずだ。中は寒いからよかった、懐かしい匂いもしていた。蒸すような日の下には、僕らとてもじゃないけど居られそうになかったから。  きっとこのままいつまでだって隠れてはいられない。我慢比べは長くついたけれど、それももうすぐ終わりだ。それにしても、あの子は。さっきまで自分だってここに隠れていたはずなのに、鬼になった途端忘れてしまったみたいに。 「あの子はもう帰っちゃったのかな。さっきから音がしないし、それに暗くもなってきた。ライトのないこの部屋のことには気づかずに、太陽の射す方へ戻っていった」 「そうだね、出ていった。けど、それだってもう随分昔のことだし、僕だってもう時間だ」 「そっか、君ももう行くんだね。鬼にはまだ見つかっていないのに。チャイムの音はまだなのに。でも、分かっていたよ。僕だってずっとそれを望んでいた。本当だよ。ただ、ただ言い出せなかっただけなんだ。でも、ああ、やっぱりもう少しここにいてよ、一人ここにいるのはちょっとつらいな」 「大丈夫、君だってもう立てるんだから。それにこの部屋はもう窮屈でしょう。この頃夜な夜なうなされていたよ」 「わかってる、わかってるけど…」 「だったらなんで」 「一度ここを出たら、君だってここへは戻れないんだよ!ほら、ドアの金具が壊れているんだ。それにここを出られたら、君だってきっとこの部屋のことを忘れてしまう。そうしたらもうここへは戻れない。それでも行ってしまうの」 「大丈夫、すぐにまた帰ってくるよ。必ず帰ってくる。君がここに残るのなら、僕だってきっと帰ってくる」 「帰ってこなくていいんだよ、それじゃあ意味がないんだから…」 「それもそうだね」 「そうだよ」 「うん。じゃあ、また」 「またはないんだって」 「そっか…じゃあ、いつか」 「だから、いつかもないよ」 「ああ」 「最後に僕に触れてよ。ずっとここにいるから、僕は君を忘れられはしないのだから。見えなくなっても、忘れてしまっても、僕はいなくならない。君は僕のことを忘れられはしない」  ねえ、どうか気をつけて出ていって。これからもしばらく雨がつづくから。

緑の少女⑱

  「ねえ啓介」キャスターに何かがひっついているようで、そのぎこちない滑りを気にしながら、僕らは案外簡単に搭乗手続きのカウンターを見つけた。 「なに?」樹紗は少し真剣な顔をした。ミステリー映画の犯人を推すのに人の良すぎる警部の名前を挙げてみたときのような、思い出してみればこの頃ずっと見続けてきた顔のような、それは猫よりも狭い眉間にしわを寄せた臆病にも挑むようにも見える表情だった。 「昨日、お風呂溜めてたでしょ」 「あの後駅まで歩いてたらやけに冷えたからさ」 「たしかにこっちもそうだったかも、まだ八月なのに」 「それがどうかした?」 「そう、蓋しまってあったはずなのにぼけっとしてて、お湯張ってるの知らなくて。結局朝までそのまま気づかずに冷ましちゃったの」 「ああそっか!出たときに言えばよかった、ごめんね」 「ううん、こっちこそごめん。それでね」 「うん」 「一昨日『千と千尋の神隠し』みたからかなって」まっさらなゴムタイルの、それもきれいに磨かれている床にはころがっているはずもない石につっかかったように、少し間をおいて僕は笑った。 「たしかに…そうだね、そうだ。よく気づいたね」 「やっぱり⁉」笑ってしまうほど分かりやすく晴れた彼女の顔に、あまりに高い吹き抜けの天井からは、こんなところに居るから気のせいではあるのだけれどやっぱり自分の国のとは思えない色味と匂いを含んだ光が届き、君は流行りだという巻いた前髪のすき間に白い額を僕に覗かせた。 「ちょっと待ってて、発券してくるよ」樹紗を残し並ぶ人のいない電子端末に向かう足どりは小さな嘘のぶん重くなって、もちろんそんなことを君が知るよしはなかったけれど、でもどこかでまた君に伝わる日が、この口で伝えられる日が来ることがあってもいいと思った。気まぐれに寄せてくるほの甘い弱気の波はあれから明らかに遠い間隔になり、それでも完全に向こうに行ってしまった訳ではなく、たとえばそれはこれまで僕らが語ったところではやはりあの大停電の夜や電球をぶら下げた夜のことだったりするのだけれど、それも足音を立てずに去ってくれればいいものをその子はこちらへの目配せは忘れずあちらこちらと指を触れて部屋の一切の配置や向きを少しずつずらしながら行くものだから、その度に僕はその細い腕をとって思い切って迎えてしまいたくなるのだ。夢にうなされる度にそれを書き留めよう...

ネトネト言わせてNI アロエ

   「残暑が嫌いだ」という話をして、異を唱える人にまず出会ったことがない。暦の上では終わっているはずの夏をいったいいつまでひきずるつもりなのか、と誰にもぶつけられない気持ちが苛立ちに変わる。いっそのこと極夜の国に住みたくもなる。馬鹿だな、冗談だよ。LUMINEのマネキンたちはもう薄手のマフラーまで巻いていて、ひと夏着通したTシャツたちにはもう食傷気味なのに、ここ一週間までも日盛りには半袖一枚でなければとてもじゃないが快適に過ごすことができない。幼い頃、川や海に遊びに行くと、首の裏や腕を丸一日日射しに焼き桃色にただれさせたのに、家に帰ってからあのピッコロ大魔王の体液のようなどろどろしたアロエのジェルを塗ってもらうのが好きだった。きまってどこか外国(ほとんどがハワイかそこらだったと思う)から輸入された大容量のチューブで、もののしい成分表示を判読できない不安をじっさいに肌に延ばしてみたときのひんやりとさわやかな匂いに紛らわせたものだった。  週に四日は6時25分に起きる。今朝もそうだった。本当は30分でいいのに何よりも惜しい朝の5分をいったい何に使うかと言うと、決まった音楽をかけながら足指をぐうぱあと開いたり握ったりして血を巡らせることになっている。いつか以来夏は寝起きの血圧が低めだから、毎朝ゼンマイを巻くようにケットを蹴りながら30分が来るのを待つ。  今日はばたばたの一日だった。起きたら電車が遅れていて、それで少し遅れて行ってもいいかとむしろ安心してしまった。人身事故がひどいものだったようで、運転再開見込時刻がどんどん後ろ倒しになった。結局15分遅れぐらいでアルバイト先に出ると(大学の事務所で下働きのようなことをやっている)、そこから内線電話を取りまくった。左利き用には作られていない電話機の配置とマウスの位置とに憤りつつ、カイリキーもかくやの活躍だった。  12時半に事務所を退けた後、昼食をとる間もなくキャンパスを移動して一つ事務的な手続きをし、午後からの2コマ連続の授業に出た。途中耐えきれなくなって休み時間にとびきり甘いカフェラテを買いに走った。  授業が終わるとM1(修士課程1年)の皆で研究誌の打ち合わせをした。あみだくじで決めたとはいえ編集長なので各方面への指示(というとちょっと偉そうだ)とスケジュールの調整を行う。どうか皆の論文がうまくいけばいい。 ...